月明かりのしたで~感覚でふれる小さな灯り~
静かな夜の中で、ふと心がゆるむ瞬間。
月明かりのしたで誰にも見せない本当の気持ちがこぼれていくような、そんなやわらかい時間を大切にしたくて。
かたちにならない想い、ことばにできない感覚。
それでもたしかにそこにある“ぬくもり”をやさしくすくい上げて綴っていきます。
わたしの感覚が、あなたの心にそっと触れたとき、それが小さな灯りとなって、あなた自身の“気づき”や“癒し”の種になればと願っています。
月の光のように静かに、でもたしかに届くものがあると信じて。
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記事一覧
大切にしていた景色が思いがけず途切れてしまうと知ったとき。
胸の奥がしんと冷えて、言葉が見つからなくなりました。
当たり前に続くと思っていたからこそ、その知らせは大きな切なさとなって押し寄せてきます。
過去のできごとと重なり、不安や寂しさが激しく揺れ動きました。
それでも、ほんのひとことの「大丈夫だよ」がこぼれる涙の中で心を支えてくれたのです。
言葉のもつ力を改めて感じた瞬間でした。
私が見ているのはほんの一部にすぎません。
その裏には、きっと誰にも言えない葛藤や苦しさもあったのでしょう。
そう考えると、切なさと同時に「どうかこれからも輝いていてほしい」という祈りが自然に生まれてきます。
そして気づいたのです。
どれだけ願っても変わらないものは存在しない。
だからこそ今を大切に生きる事が何より大切なのだと。
先延ばしにせず、やりたいと思ったことをやってみる。
その小さな一歩が未来を優しくかたちづくっていくのだと思います。
切なさを抱えながらも、余韻ごと抱きしめて今日を歩いていきたい。
その気づきが静かに私の中に残っています。
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つい先日弾丸で大切な人へ会いに行った帰り、思わぬ“飛行機缶詰事件”に巻き込まれました。
夜の便で福岡を出発し、羽田には予定より20分遅れて着陸。ここまでは「よくあること」と思えたのですがその後が大変でした。飛行機は誘導路で止まったまま動かず、1時間近く機内で待機。アナウンスで「オイル漏れが確認されたため、しばらく動けません」と告げられた時にはどっと疲れが押し寄せました。
ようやく降りられると思ったら、今度はスポット変更。
予定のゲートではなくさらに遠い場所に移動となり、出口まで歩く道のりも長い。時計を見れば、もう終電がなくなっている時間。諦めてタクシー乗り場に向かうと、そこにはすでに長蛇の列。深夜0時半を過ぎてもなかなか前に進まず、やっとタクシーに乗れたのは午前1時前でした。ホテルに着いた頃には心も体もすっかり限界で、「もう勘弁して」と心の中で何度も呟いていました。
私も人間です。こういう時には落ち込みますし、ため息も出ます。
スピリチュアルなお仕事をしているからといって、常に前向きでいられるわけではありません。「なんで今日に限って」「どうして私が」と弱音を吐きたくなることもたくさんあります。
でも、そんな時ふと頭をよぎったのです。
もしこれが“上空”で起きていたらどうだっただろう?
空を飛んでいる最中にトラブルが発覚していたら、不安や恐怖はもっと大きかったはずです。羽田に降りてから止まってくれたことは、実はとても大きな守りだったのではないか。そう思った瞬間、重たい心が少しずつほぐれていきました。
そして、タクシーに乗った時のこと。運転手さんが「今日は大変でしたね」と声をかけてくれました。その一言が張りつめていた心をふっと緩めてくれたのです。ホテルに着いた時も、フロントの方が「遅くまでお疲れ様でした」と優しく迎えてくれて、その声にじんわりと救われました。
大変な出来事の中にも、こうして人の温かさが灯りのように差し込むことがあります。疲れ果てていたはずなのに、不思議とその瞬間だけは心が温かくなり「守られている」という感覚をさらに強くしました。
スピリチュアルな視点では物事が予定通りに進まない時、それは単なる“遅れ”ではなく“守られている時間”であることがあります。宇宙は時に「今は進まない方がいい」と私たちにストップをかけてくれる。その瞬間は辛くても、後から振り返ると「なるほど。だから止まったのか」と気づくことができるのです。
もし今あなたが思い通りに進まず立ち止まっていると感じているなら、それは守られているサインかもしれません。
人間だから落ち込むのも当然です。でもその中にも必ず宇宙の采配があります。どうかその時間さえも大切に、自分を優しく受け止めてあげてくださいね。
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3
今日から9月。
9月の空気には夏の名残とともに、静かに訪れる秋の気配があります。
季節が変わるとき、人の心もまた自然に変化していくものです。
夏は「動き」「出会い」「エネルギー」にあふれていました。
その中で感じた喜びや悔しさ、そして時に流した涙さえもすべては小さな種として、心の中に残っていきます。
秋は「実り」「収穫」の季節。
それは努力の結果だけでなく、迷いながら選んだことも手放した想いも、すべてがかたちを変えて今の私たちを支えてくれるものです。
私自身この夏を振り返ると、「もっとできたかもしれない」と思う瞬間もあれば、「これでよかった」と安心できた時間もありました。
そのどちらも秋を迎ようとする今となっては私にとっての大切な実りなのだと感じます。
だからこそこの季節に伝えたいのです。
「喜びも痛みもすべてがあなたを育ててくれる実りなのだ」と。
あなたにもこの夏にまいた小さな種があるはずです。
それは目に見える形でなくても、必ずあなたを支える力となり、やがて心の果実へと変わっていきます。
どうか安心してその実りを受け取ってください。
そこにはきっとあなたが歩んできた証と、これからを生きる力が宿っています。
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お盆が終わるとにぎやかさのあとに少しだけ静けさが訪れます。
その静けさの中で私は毎年あの人のことを思い出します。
若い頃、私には「お姉さん」のように慕っていた大切な人がいました。
笑顔がとても素敵で私にとって憧れであり、支えでもあり、こんなふうになりたいと思わせてくれる存在でした。
でも、ある日突然その人との別れが訪れました。
悲しみはあまりにも大きく、季節の風景さえ色を失ったように見えました。
特にお盆や命日の時期はその寂しさと直面する時間でもありました。
私は長い間自分を責め続けてきました。
「もっとできることがあったんじゃないか」
「私の言葉や行動で何か変えられたんじゃないか」
そうやって答えの出ない問いを、何十年も心の中で繰り返していました。
けれど年月を重ねた今だからこそ、少しだけ言えることがあります。
それは
あの人が残してくれたものは「悲しみ」だけではなかったということ。
その人が生きてくれた時間は確かにあって、私の心には今でも「笑顔」や「優しさ」が息づいています。
悲しみの中にもちゃんと「ありがとう」がある。
夏の終わりに、私は静かに言いたいのです。
「もう一度会いたいほど恋しいけれど、あなたの分まで私はちゃんと生きていくね」
そしてもし、これを読んでくれているあなたにも
「大切なのにもう会えない人」が思い浮かんだなら
どうかその人へ心の中で一言「ありがとう」と伝えてみてください。
その想いは寂しさを越えて、きっとあなた自身を支える力に変わっていくと信じています。
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4
「あなたは大切な人と宇宙で約束をしてきている」
そんな言葉をある日もらいました。
困ったときは私が助ける。
私のことも助けてね。
その約束は地球に降りてからもちゃんと生きていて、きっと私はもう何度もその瞬間を体験してきたはずだと。
思い返してみれば、理由のない懐かしさを覚える場所があります。
そこに行くと、まるで時間を飛び越えて帰ってきたような気持ちになるのです。
偶然と呼ぶにはできすぎたできごとも何度もありました。
何気ない視線や、ふとした言葉、そしてあの日の小さな奇跡。
その一つひとつが、私の心の奥にしまわれていた記憶をそっと呼び覚まします。
「そうだ。これは約束だったんだ」と思い出すように。
私はこの感覚をこれまで何度も体験してきました。
そのたびに、自分が一人ではないことを思い出します。
だからこれからもその人たちを助けたいし、
きっとこれからも何度も助けてもらうのだと思います。
たとえ宇宙の記憶がぼんやりとしていても、心の深いところではちゃんと覚えている。
だからこのご縁を信じて歩いていこうと思います。
あなたの中にもきっと誰かとの「やくそく」があります。
それを感じる瞬間を大事にしてほしいのです。
それはきっとあなたを支える力になるから。
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ある出来事があった日の夜。
その瞬間を思い返すと、どうしても涙がこぼれてしまいます。
思いがけずわたしの手の中に届いた“なにか”。
偶然かもしれません。
でも、偶然にしてはできすぎていて。
気づいたときには心が追いついていませんでした。
信じたくても信じられなかった感じで。
欲しかったものなのに、受け取った瞬間は「嘘でしょ?」という驚きばかりで、ただ呆然としていたのを覚えています。
そのとき、隣にいた友人が「優しさだと思うよ」と言ってくれました。
わたしの中に灯った“希望”を静かに肯定してくれたようで、ようやくそこで心が動き出した気がしました。
この仕事をしているといろんな方の“奇跡”に立ち会うことがあります。
その奇跡の正体は、派手なドラマではなく誰かのふとした言葉や、小さな偶然の連なりだったりします。
だけど、受け取る本人の心の状態によってはそれが奇跡だと気づけないこともあるんです。
わたし自身がそうでした。
あの日、わたしは確かにそこにいたのに何ひとつ確信なんて持てていませんでした。
あの瞬間まで何も気づいていなかった。
むしろ信じることすらできなかったんです。
でも、「それって、あなたへの優しさだと思う」という言葉に、張りつめていた何かが静かにゆるんでいって…
わたしの中に灯る“希望”になっていきました。
だから今、わたしは信じたいと思います。
あれはわたしだけのために起きた“小さな奇跡”だったと。
気づけなかったことも、疑ってしまった自分も、
ちゃんとここまで歩いてきた“軌跡”だったのだと。
そしてもし、これを読んでいるあなたがいま何かを「信じきれずにいる」状態だとしたら
それはきっと、奇跡がまだ形を変えて届く途中なのだと思います。
あなただけの奇跡が、あなただけの軌跡と重なってそっと届きますように。
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「どうして、こんなに苦しくなるんだろう」
気づけば、心の中が“足りない”でいっぱいになっていた日がありました。
もっとわかってほしい。
もっと気づいてほしい。
もっと大事にされたい。
そんな「もっと」が募って感情が膨らみすぎたとき、私は自分で自分を追い詰めていたのかもしれません。
だけどあるとき何気ないきっかけでふと涙があふれました。
誰かが話してくれた小さなひとこと、流れてきた歌の歌詞、通り過ぎた笑顔。
そのどれもが、私の“足りない”を埋めるように優しく語りかけてくれたのです。
「本当はずっと受け取ってきたんだよ」って。
欲しいものに手が届かないことばかりに目を向けていたけれど、実はもう大切なものはたくさんそこにあったんですよね。
差し出された言葉、向けられたまなざし、
誰かがくれた「大丈夫」のぬくもり。
それは私が願っていたかたちとは違っても、ちゃんと受け取っていた“愛”だったのだと気づきました。
だから今日はちょっとだけ視点を変えてみませんか?
ほんの少し視野を広げて周りを見るだけで、そこにはたくさんのありがとうがあるのかもしれません。
感謝で一日を終える日ってどこか素敵ですよね。
このブログを読んでくれたあなたへ
心からのありがとう…
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人は時にどうしてこんなにもこの人に惹かれるのだろう?
そんな不思議な感覚に出会うことがあります。
それは恋愛や友情といったわかりやすい関係性ではなく、もっと深くてもっと静かな言葉にできない“つながり”のようなもの。
スピリチュアルな世界では、魂は生まれる前に「どんな学びをするか」「誰と出会うか」をある程度決めてきているといわれています。
出会いとはただの偶然ではなく、魂同士が**“もう一度出会う約束”をしてきた証**なのかもしれません。
私自身もそう感じる出会いを経験したことがあります。
はじめてその方を見たとき、理由はないのに心の奥があたたかくなるような懐かしさを感じました。
言葉にすればほんの些細なものかもしれないのに、
その存在は私の中でとても静かに大きく響いたのです。
その方に出会ってから、感情が少しずつ整っていったり本音に気づくような場面がふえていきました。
気づけば私はその人を通して、
**自分のままでいていい**という感覚を自然に取り戻していたのです。
今思えばその出会いは偶然ではなく、“名前のないご縁”のなかで交わした魂の再会だったのだと思います。
その人は私にとって“はじまりの人”でもありました。
そしてその存在は生きていくことそのものに希望を灯してくれるような、大きな光でもありました。
鑑定を通してお話する中でも「どうしても理由はわからないけれどこの人が気になって仕方ない」
「ただ見るだけで涙が出そうになる」
そんな言葉を聞くことがあります。
それは頭では理解できないけれど、
魂のどこかが“覚えている”ご縁にふれているからかもしれません。
日常のなかでふと心が震えるような出会いがあったなら「理由はわからないけれど気になる」という感覚があるなら、それはあなたの魂が何かを思い出そうとしているサインです。
どうかそのやわらかな違和感や、ときめきや、懐かしさを疑わずにそっと大切にしてみてください。
あなたが出会ったその人はこの人生の中で、
あなたの中にある光をもう一度照らしてくれる存在かもしれません。
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ときどき心より先に体が「もうちょっとムリかも」って小さくサインを出してくることがあります。
たとえば声が出なくなったり、体が思うように動かなくなったり。
それって一見すると不調のようで、実はずっとがんばってきた証なんじゃないかなってわたしは思っています。
今回わたしもそのサインに出会いました。
喉に少し違和感を感じながらも予定を優先して動き続けていたら気づけば声が出なくなっていて…
少し声が良くなったからアクセル全開!!と思った途端、今度は腰にも痛みが出て運転するのもやっとという状態に。
まるで体のほうが「いったん立ち止まってみない?」
って声をかけてくれていたようでした。
言葉を届ける仕事をしているわたしにとって、声が出ないというのは思った以上に不安で、焦りもありました。
でもそれと同時に「誰かに伝える前に自分の声をちゃんと聞いて」と体が教えてくれていたのかもしれません。
“止まること”ってどこかで勇気がいるし、なにかに負けたみたいに感じてしまう日もありますよね。
でも
動けないときがあっても、
声が出ない日があっても、
それは「がんばれなかった日」なんかじゃなくて「がんばりすぎたから休む日」なんだと思うんです。
わたしもまだそんなふうに思えない日もあるけど、
この体験を通して少しだけ自分に「おつかれさま」と言えるようになりました。
もし、似たようなタイミングにいる方がいたらどうか自分の声と体にやさしく寄り添ってみてくださいね。
そしてもしよかったら…
痛みや違和感のある場所にそっと手を当てて
「大丈夫。大丈夫」ってやさしく声をかけてみてください。
不思議なんですが、体ってちゃんと“ことば”を聞いてくれてるような気がするんです。
誰かにじゃなくて自分に向けたその声が、じんわりと届いてふっと力が抜ける瞬間があるかもしれません。
また少しずつ自分のペースで。
笑顔のリズムを取り戻していけますように…
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こんにちは。鑑定師の月明ルナです。
皆さま体調はいかがでしょうか?
実はわたくし、見事に風邪をひきまして…
声は出ない、鼻水は止まらない、両鼻は完全に詰まり、
(どっちかにしてぇ…と思ってました)そしてだるい。
どうにもこうにもならず、やむを得ず鑑定をお休みさせていただいておりました。
さて、
「祈ることや願うことって、無意味なんじゃないですか?」というご質問をご相談の中でもよくいただきます。
「好きな人ともう一度つながりたい」
「連絡が来てほしい」
「気持ちが届きますように」
そう願うことは、苦しくて、切なくて、
「ただ願っていても意味がないんじゃないか」と思ってしまうこともありますよね。
でも、その問いに対する私の答えは
無意味なんかじゃありません!
声を大にしてお伝えしたいです。
祈ること、願うこと。
それは、大切な人の幸せや、
好きな人とのご縁、これからの未来への祈り…
目に見えないし、届いたという実感も持てないことが多いからこそ「本当に意味があるのかな?」と感じてしまう気持ちもよくわかります。
私も、かつてそんなふうに思いながらもどうしても願わずにはいられなかった日々がありました。
以前のように大切な人の存在を感じられなくなって、何もできない無力さを抱えながら、私は夜になると空を見上げて月に向かってそっと祈っていました。
「どうか、生きることを諦めませんように」
「少しでも眠れていますように」
「ほんの少しでも笑えてますように」
願いは届かないかもしれない。
それでも毎晩祈りを重ねていました。
そしてある日「これからは自分が信じてきた気持ちをちゃんと届けたい」
そんな言葉を耳にしたとき、あの日感じた無力さがほんの少しやわらいだ気がしたんです。
あの祈りは、願いはきっと届いていたんだなってそう思えました。
だからこそ、私はこうお伝えしたいのです。
願うことは決して無意味なんかじゃありません。
たとえ今は届かないように感じても、
あなたが心から願い、祈ったその想いは見えないところで静かに流れ、やがて必要なタイミングで必要な形で届いていくことがあります。
私が日々の鑑定で感じているのは「想いの力」は想像以上に繊細で、でも驚くほど強くまっすぐだということ。
どうか今あなたの中にある“願い”を、
「無意味かもしれない」なんて思わないでくださいね。
願いの先にいる“大切な人”も、
あなたの“その気持ち”も、
どちらも本当にかけがえのないものなのです。
今日も誰かの幸せを祈るあなたの心が、
やさしくあたたかく包まれますように。
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