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こもれび ~ Sunbeams leaves
太陽のPixy-Blog「 こもれび ~ Sunbeams leaves 」へようこそ。
ここでは、人生をより豊かにしてくれる様々な「知識」を紹介していきます。
枝葉の隙間から差し込む光のように、あなたの人生を優しく温めることができれば幸いです。
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太陽です。
「折衷至当(せっちゅうしとう)」
私はこの言葉をものごとの中庸、つまり中道を歩むという意味で遣います。
鑑定の際、その人に宿る星の解釈が偏頗しないように自戒を込めた言葉でもあります。
言葉というのは面白いもので、発する人間、伝わる人間に様々な影響を与えます。
ときに誰かの心を励まし、癒やし、傷つけ、惑わし、背中を押し・・
でも、誰もが心のありようを上手に言葉にできるわけではありません。
人によっては、言葉にしなくてもわかるだろうと高をくくったり、上手く伝える自信がないからと言葉にするのを躊躇う人もいるでしょう。
前者は、自分と相手では感じ方、考え方が違うということを今一度認識すること、また相手の気持ちを思い遣ることが求められるでしょう。
後者は、声ではなく手紙やメールなど間接的に伝えれば良いようにも感じます。
大切なことは想いが伝わるかどうかなのですから。
さて、少し話を広げます・・
私は若い頃から読書が好きで、家には本がいつも溢れていました。
一般雑誌から小説、哲学書、歴史書、ビジネス本から心理学など幅広く読みます。
最近はネットで簡単に本が購入できるようになり便利な世の中だな~と思いますが、昔はそうはいきませんでした。
欲しい本が一般の書店に置いていないときは、東京で本の町と言われる神保町によく足を運んだものです。
本は著者が読者に宛てた手紙・・と言う人がいますが、私もその意見には賛同できます。
確かに、そこにはその人の培った知識だけでなく、その人の想いや夢、人生が詰まっているように感じます。
そう思うと、一冊一冊がとても大切に思えるのです。
言葉には想いが宿る、それは声でも文章でも同じです。
そして今、私はあるメッセージを本から感じ取ることが多くなりました。
ここ数年は占星術や環境学に係る本を読み続けていますが、どの本にも一つの強いメッセージが潜んでいることを感じるのです。
それは、「今一度、自然のあるべき姿に立ち返ってものごとを考えなさい」というメッセージです。
どうも占術について学ぶと、私は自然に帰る方法を学んでいるかのように感じるのです。
自然の摂理を学び、私たち人間がいかに自然の一部へと帰結するか・・
いくつかの本にはこう記されているように感じます。
「いつの時代か、人はあるべき姿を見失って、命とは、人生とは何たるかを理解し難くなるでしょう。だから、私たちはその時代を生きる人々が大切なことを見失わないよう、人と自然の関係性、あるべき姿へと帰る道標を数冊の本に記しておきます」と。
どういうことか?
例えば・・社会人になると「問題」と「課題」の違いについて問われたことはありませんか?
「問題」はあるべき姿から乖離している状態を指し、「課題」はあるべき姿に帰る方法のことを言います。
人生においても「問題」は必ず生じます。
そのとき、あるべき姿に帰る「課題」を抽出する手段が「占い」でもあるのです。
この世界には目に見えない因果や宿縁、命に宿る気、ときに流れる気、そして環境が内包する気が存在します。
そうしたものを正確に読み解くことは不可能でしょう。
でも、遙か昔に生きた人々が遺した叡智をもって、ある程度を解読していくことは可能だと考えています。
それは、私たちが未来を知るためではなく、自然のあるべき姿を知るためにです。
占いが予知学と言われる所以はそこにあると私は思っています。
大切なことは、自分のあるべき姿を知ることです。
・・とは言っても、そんなに難しく考える必要はありません。
今よりも幸せになりたい、より良い人生を歩みたい、こうしたい、こうなりたい・・
それで良いのです。
そうした想いこそ、あなたの心が発してる「あるべき姿に帰りたい」というメッセージなのですから。
19
太陽です。
平成最後の年が幕を開けましたね。
今年は新たな天皇陛下が誕生し、元号も変わります。
日本の国民にとっては門出の年となるでしょう。
そして、今年の干支は「己亥」です。
十二支獣でいうと「猪~イノシシ」になります。
今年を視ると、大衆レベルのエネルギーが充満し、同じ方向を向きやすい一年です。
社会が大きく変容する一年と言っても良いかもしれません。
「昭和」生まれの私にとって、「平成」もまた激動の時代でした。
平成はベルリンの壁崩壊や、米ソ冷戦の終結から始まります。
やがて、日本はバブルの崩壊から「失われた20年」に突入し、押し寄せる「グローバリズム」の波にのまれていきました。
これから、私たちはどこに向かうのでしょうか?
次の時代・・
医療の世界では、再生医療や電気信号によるリハビリなど、多くのパラダイムシフトが連鎖的に起こり始めるでしょう。
私たちの日常では、AI(人工知能)が今まで以上に生活のいたるところに普及していくでしょう。
家電や車などにAI(人工知能)が搭載されるのは当たり前の時代になります。
地球温暖化対策の一環として、人工光合成やメタンハイドレートなどの次世代クリーンエネルギーが台頭してくるでしょう。
近いところでは、東京オリンピックや大阪万博などの国際的なイベントが控えています。
私たちは、より国際社会を意識した時代を生きることになるでしょう。
しかし、どれだけ人間社会が変容しても、空に輝く太陽、大地に根付く植物、命を育む母なる海、そうした自然の営みが変わることはありません。
その営みに変化を与えるとしたら、それは人間だけです。
新たな時代、私たちは「自然との共存」をより強く意識しなければならなくなるでしょう。
そのために私たちがすべきことは、自然のために何かをするではなく、まずは私たち人間の生き方を見直すことではないでしょうか。
誰もが生きがいを見出せる社会であれば、私たちは多くのものを変える必要はないのです。
その最たる一つが、「ものが豊かになった分、心の豊かさとは何か」を問うことが多くなった現代の姿です。
皆さんはブータンという国をご存知ですか?
ヒマラヤ山脈の東、中国やインドといった大国に囲まれた人口およそ70万人の小さな国です。
その国には「幸福」にまつわる一つの考え方があります。
「国民総幸福量(GNH~Gross National Happiness)」という考え方です。
「幸福」は、ものが豊かになってもたらされるものではなく、心が豊かになって得られるものであり、心が豊かであることが真のものの豊かさをも導き出すという考え方です。
つまり、「人々の心理的幸福」を高めることで、「社会全体の幸福」を高めていくという考え方なのです。
ブータン国王の言葉です・・
「豊かであることが必ずしも幸せではないが、幸せであると段々豊かだと感じるようになる」
さあ、
新たな時代の幕開けはまもなくです・・
私と一緒に「心の豊かさ」を手に入れましょう!
21
太陽です。
私はここ最近、クリスマスパーティーで披露しようとコインマジックの練習をしていました。
手のひらで100円玉が現れたり消えたりするあれです・・
実は20代の頃、幼稚園や高齢者施設でマジックショーのボランティアをしていました。
見た目も楽しんでいただこうと、金髪のアフロをかぶり、サングラスにひげ、キラキラの蝶ネクタイと・・若気の至りです。
当時、仕事で高齢者に関わることが多かったのですが、ご病気やご家庭の事情など様々な悩みで硬い表情をされる方が多かったのを覚えています。
何故、マジックを始めたのか?
そんな方々を見て、笑って欲しいな・・と思ったのがきっかけです。
私は早速、デパートで実演販売しているマジシャンに教えを請いに行きました。
そして、手のひらから一輪の花が現れるマジックを練習して高齢者に初披露したのです。
そしたら・・その方は眼をまん丸にして優しい笑顔を見せてくださったのです。
若い頃の私はそれに感動してしまい・・それからマジックにのめり込んでしまいました。
高齢者だけでなく子どもにもわかりやすいマジックを・・と、既存の小道具だけでなく、道具を手作りするときもありました
そして・・
オリジナルの瞬間移動(段ボールの中に入り消える・・)や、空中浮遊(黒いシーツをかけると身体が浮かぶ)を編み出していきました。
有名なギロチンマジックもしましたが、さすがにそれは高齢者の血圧を上げてしまい・・看護師さんに注意されてしまいました・・それも若気のいたりでしょうか。
でも、調子に乗って子どもたちにサイン色紙を配ったときもありました・・若気の至りです。
ただ、一番辛かったのは、もの凄く練習して杖を宙に浮かせる古典マジックを習得したのですが、狭い会場だったので近すぎた観客に「糸~!」と叫ばれたことです(>_<)
今でも手からハンカチを出したり、コインを消したり、トランプマジックができるよう、そばに小道具は置いています(笑)
さて、私がマジックをはじめた動機は「笑顔になって欲しい」という純粋なものでした。
「笑顔」・・皆さんは最近、笑えていますか?
ご存知の方もいると思いますが、「笑顔」は健康にとても良いと言われているんです。
例えば、「笑顔」は副交感神経を優位にして、心をリラックスさせ、自律神経を安定させてくれると言われています。
また、心のバランスを整える「セロトニン」という神経伝達物質を増やし、心に安らぎを与えてくれるとのこと。
さらには、人間の免疫システムのひとつ、ナチュラルキラー細胞を強化してくれたり、アンチエイジングの効果も期待できる・・と言われています。
でも、確かに「笑顔」はストレスを軽減させ、プラス思考を生み出し、生活のあらゆる場面を豊かにしてくれますよね。
「笑顔」はある意味、何にも勝る「良薬」なのかもしれません。
勿論、大切な人とよい関係を育みたいのであれば、「笑顔」は絶対に必要です。
嬉しいときは素直に「ありがとう」と笑顔で言うだけで、相手は自己肯定感を満たし、喜んでくれるものです。
さて、私はマジックを「笑顔」を生み出す魔法のようなものだと考えています。
そこに私は、人を「笑顔」にするという小さな幸せを見出してきました。
ですが、時代の流れというのでしょうか・・
ここ最近は、満面の笑みで子どもたちに披露しても「おじさん、それ知ってる~」などと言われてしまいます(>_<)
挙げ句の果てには、披露する前にどうなるか言われてしまうこともあります(笑)
高齢者にも「テレビでもっとすごいのやっとったぞ」と言われ・・時の流れを感じます。
皆さん、目が肥えてしまわれたようですね。
でも、絶対に笑わないと言われていたお婆様に緑の棒を渡し、手をかざすと先端にバラの花が現れるマジックを披露しただけで・・周りの方もビックリするほどの優しい「笑顔」を見せてくれるのです。
いつの時代も、そんなささやかな幸せを大切にできる世の中であってほしいものです。
「笑顔」は心の境界線を取り払う魔法です。
鑑定中にマジックは出来ませんが、会話のなかで少しでもあなたと笑いあえたら、それはとても幸せな瞬間なのだと思っています。
そして、「笑顔」だけでなく、笑い声も素敵だと気づく今日この頃です。
20
太陽です。
12月になり、赤いポインセチアや雪化粧したクリスマスツリーが、街をお洒落に演出していますね。
そんな幻想的なクリスマスカラーに染まる街である事件が!?
それは、私の友人の子どもが通う保育園で起きました・・
保育園に通う子どもがこんなことを言いふらしているそうなのです!
「サンタクロースはパパとママやで・・」
先生たちは必死で「そんなことないよ~サンタクロースさんはいるよ~」と反論しているそうです(>_<)
最近の子どもたちはサンタクロースの秘密を知るのが早いのでしょうか・・
さて、今回は私がクリスマスツリーを観る度にふと思い出す、ある愛のお話をさせていただきます。
それは15年ほど前のことです・・
当時病院に勤めていた私は、そこであるご夫婦と出逢いました。
数週間前に病気を発症された奥様が、治療後のリハビリとして転院してこられたのです。
彼女は言葉を話すどころか表情さえつくれない寝たきりの状態でした。
こちらのご夫婦の恋愛については、ある理由で周りから反対されていたそうです。
それでも、その反対を押し切り、ようやく彼と一緒になれた・・その矢先の発症だったそうです。
彼女のご両親は、彼のことで心労が絶えなかったことが病気の原因だと考え、彼に離婚を迫りました。
でも、彼は何を言われようと、同じことを繰り返し言い続けたそうです。
「妻は私が家で看ます」と。
彼女のご家族はその言葉を信じきれず、彼から彼女を引き離すために面会謝絶や転院などを考えました・・が、どれもご主人である彼なしでは決められないことでした。
彼はお仕事のない週末の土曜、日曜は必ず面会に来られました。
そして、朝から晩までずっと病室で彼女の手を握っているのです。
お家から病院までの距離はかなりありましたが、彼は半年近い入院期間中、一度もかかすことなく、週末や祝日まで病院に通い続けました。
そうした姿に、彼女のご家族の姿勢も変わってきます。
やがて、挨拶が交わされるようになり、簡単な会話も見られるようになっていきました。
そして、ご退院の予定が立つ頃、自宅で社会資源を利用し彼女を看ていくという彼の意思は尊重され、彼女のご家族はそれを支えていく方向で話がまとまったのです。
彼は口数も少なく笑顔もあまり見せない男性でした。
後からご両親に聞いたのですが、彼は挨拶以外、妻は私が看ます・・としか話さないので無愛想な男だと思っていたと・・
でも、彼の彼女に対する姿勢、そして彼の手だけはありったけの力をこめて握る彼女の姿に、ようやく許せる気持ちが持てたと言われていました。
そんなご夫婦が退院された日も、赤いポインセチアや雪化粧したクリスマスツリーが街をお洒落に演出していました。
以前、私はBlogのなかで「その人の幸せはその人にしかわからない」と言いました。
皆さんは、彼女の幸せは何だったと思いますか?
看護師の多くは、彼女には彼が必要だという意見を持っていました。
でも、私は逆の意見を持っていました。
彼が彼女を必要としていた、という意見です。
これは、あくまで私の一意見です。
人を愛することに軽いも重いもありません。
どのようなかたちであっても、人が人を愛することはとても尊いことです。
だって、愛は自分以上に相手を大切に想うことだからです。
退院後に彼女のご家族から、彼と仲良くしていますというお手紙をいただきました。
それを一番喜んでいるのは、彼女なのかもしれませんね。
愛のかたちは様々です。
大切なことは、そこに愛があるかどうか・・
周りから見れば、彼女は不幸な女性と映るのかもしれません。
でも、果たしてそうでしょうか?
私も病院で多くの患者様、また鑑定師となってからは多くの相談者様に関わってきました。
人生の転機と呼べるようなときに関わらせていただくことも多いです。
確かなことは、病気を患ったとき、辛い出来事に遭遇したときに、そこで幸不幸を決めつてはいけないということです。
誰にでも、人生に困難なときは訪れます。
それが健康上の問題か、経済的な問題か、社会的な問題かは、人それぞれです。
大切なことは、それをどう受け止め、そこからどこへ向かうかです。
勇気を持って、一歩前に踏み出せるかどうかなのです。
不幸だと思うなら、幸せな未来へと転換していけば良いのです。
彼は誰よりも彼女との未来を見続けていました。
諦めませんでした。
彼女の病気を嘆くのではなく、今に絶望するのでもなく、事実を静かに受け入れ、
彼なりの愛で、彼女との新たな生活の新しい一歩を踏み出されたのです。
今でも、彼から学ぶことは多いです。
・・愛のかたちは様々ですね。
今年も彼らが温かなクリスマスを迎えられるよう、そっと空に祈る今日この頃です。
22
太陽です。
さて、今回は私流の人生のとらえ方について、皆様にご紹介いたします。
私はよく、人生の出来事を天気に例えます。
どういうことか?
人生にも晴れや曇り、雨のときがあるということです。
私にも過去に何度か、明日が見えず立ち尽くすだけのときがありました。
おそらく、そのときの私の眼に映る景色には、絶望という名の雨が降っていたのでしょう。
人生に幾度か訪れる雨のときです。
雨が降り出し、離れていく人・・
そっと傘をさしてくれる人・・
誰の人生にも、雨のときは必ず訪れるのです。
それは、何もかもが思うように進まないときなのか愛する人を失ったときなのか、
その人によって理由は様々でしょう。
でも、雨が永遠に降り続くということはありません。
雨が上がれば、空には美しい虹が架かります。
大地は潤い、新たな命が芽吹きます。
自然と何かは始まっていくのです。
例えば、あなたの人生は今、澄み渡る青空が広がるときだとしましょう。
さあ、あなたにとっては始まりのときです。
芽吹いた様々な色やかたちをした花たちと、あなたは出逢うことになるでしょう。
しばらくすると、空に暗雲が立ちこめてきます。
あなたは、ふと立ち止まり、心に一抹の不安を抱くでしょう。
そして、降り始める雨・・
優しい雨もあるでしょう、土砂降りの雨もあるでしょう、
短い雨もあれば、長く続く雨もあるでしょう。
例え、その雨のなかで落雷に心を引き裂かれるようなときがあっても、
あなたは、じっと耐え忍ぶことでしょう。
いや、もしかすると、あなたは耐えきれずに逃げ出すかもしれません。
でも、どんなあなたであっても、雨はやがて上がり、空には七色の虹が架かるのです。
あなたの眼に映るその虹は、どのような輝きを魅せてくれるのでしょうか・・
それは、あなたが心を痛めただけの価値のある虹となります。
今、あなたの人生の天気は・・
澄み渡る青空が広がっているときですか?
暗雲立ちこめる薄暗いときですか?
雨が降っているときですか?
空にうっすらと虹が架かり始めたときですか?
もし、澄み渡る青空が広がっているなら、
いろいろなことにチャレンジするのも良いかもしれません。
新たな出逢いを求め、行動範囲を広げてみるのも良いでしょう。
もし、暗雲が立ちこめる薄暗いときなら、
歩みを止め、今一度これまでの自分の行いを見つめ直すときかもしれません。
もし、雨が降っているなら、
それは、自分自身と向き合う大切な時間です。
もし、空にうっすらと虹が架かり始めたときなら、少しずつ未来の計画を実行に移してきましょう。
大切なことは、そのときをどう捉え、どう生きるかです。
私の人生はどちらかというと、一年中気温が高く雨が多い熱帯雨林気候です(笑)
ときにスコールと呼ばれる激しい雨にも見舞われます。
私が人生の不思議を感じる瞬間は、そんな雨のときに訪れます。
それは、雨の中で立ち尽くす私に、そっと傘をさしてくれる人が必ずいることです。
あなたの人生が雨のとき、傘をさしのべてくれた人はいましたか?
その人はきっと、あなたの人生にとってかけがえのない人です。
ありきたりな言葉ですが、止まない雨はありません。
雨が降るから、人生は不毛の砂漠とならず、緑あふれる豊かな大地が広がるのです。
空には美しい虹が架かり、大地には美しい花が咲くのです。
豊かな人生とはそういうものです。
雨の日も晴れの日も、喜びも悲しみも、すべてがあなたの人生を彩る色となるのです。
さあ、あなたも人生の天気予報をしてみませんか?
きっと、新たな発見や気づきがあると思いますよ。
21
太陽です。
さて、今回は占術から視る「宿命の多様性」についてお話ししたいと思います。
私は鑑定させていただくときに必ず視ることがあります。
それは、その方の宿命の「バランス」です。
人の宿命には、様々な星が宿っています。
例えば、食に恵まれる星、人を惹きつける星、芸術を司る星、名誉を得る星、攻撃的な星、知性の星・・
それらがある程度均等に揃っていれば、バランスのとれた宿命と視ます。
逆に一つの星がいくつもあり、足りない星がいくつかあれば、バランスがかたよっていると視ます。
ただ、そのバランスの良し悪しが、イコールその人の良し悪しかといえば、そうではありません。
そこに人間の不思議、人生の面白さがあるんです。
バランスがとれている人にはとれている人なりの、バランスがかたよる人にはかたよる人なりの生き方があるということです。
例えば、バランスのとれている人は、万人に受け入れられる素質を持っているのか・・
といえば、意外とそうでもありません。
何でもそつなくこなせるが故に、若い頃は苦労があまりなく、心の成長が遅い未熟な人間となって、年齢を重ねてから苦労される方は多いです。
逆にバランスがかたよる人は不器用な面が目立ちますが、その分の苦しみや葛藤の中で心の成長があり、年齢を重ねてからは人間的に魅力ある人になる場合は多いです。
そして、大抵このバランスがかたよる人は、何かひとつのことに天才的に秀でています。
バランスのとれた人はオールラウンダー、バランスがかたよる人はスペシャリストといったところでしょうか・・
さて、バランスを視るのは、私の鑑定では初段階ですが、注視するのは育った環境と社会でのその人の立ち位置(社会的立場や人間関係等)です。
まず、その人の宿命に適した環境で育ってらっしゃるかどうか・・
極端な例えですが、熱帯植物なのに北極で育てられていないかとか海水魚なのに淡水で育てられていないかなど、その人の良さが伸びるような生活環境で育てられているかどうかを視ます。
次に、その人は今、この社会でどのような場所に身を置いているかも視ます。
例えば、鳥は空というフィールドで、その能力をいかんなく発揮します。
亀は海というフィールドで悠々と動き回ることができ、馬は陸というフィールドで、その実力を存分に発揮するんです。
人間でいうと、例えば・・
サッカー選手が、グローブをはめてマウンドに上がり、ストライクが取れないとブーイングされても辛いですよね・・
マラソン選手が、実力を発揮できない50メートル走で評価されてしまうのも、もったいない・・
まずは、自分の宿命の特性を知ること、そしてそれに見合う環境に身を置くことが何よりも大切です。
鑑定させていただいていると、そこから逸脱して苦労を重ねてらっしゃる方は、往々にして存在します。
でも、それは誰にでもある人生の大事な時間なのだと私は思っています。
人は、そこで自らの存在意義を考えるようになり、心を成長させていくのです。
そして、人間の織りなす社会で自分の居場所を見つけ、自分の生まれた意味を知覚するのです。
与えられた寿命は、そのための時間なのかもしれませんね。
無駄な時間はないということです。
昔、ある人がこんなことを言っていました。
「明日というのは、今日亡くなった人がどうしても生きたかった明日なんだ。だから、命あるものは、その明日を精一杯生きなければならない」
どんな苦境に遭っても、生きている限り、人生を輝かせることはできます。
もちろん、年齢など関係ありません。
障壁があるとすれば、それはその人の心の中に生まれるものです。
今、時代は多様性を認める寛容な社会を求めています。
こうあるべきではなく、こうありたい、と思える自分を大切にしてください。
そこにあなたの人生の答えがきっとあるはずです。
もし、人生に迷うことがあれば、一人で悩んでいてはいけません。
私たちはひとりではありません・・人間は人と人の間にあって初めて人間となるのです。
宿命のバランスを知り、多様性を認め合うことができれば、人生はもっと豊かなものになるはずです。
26
太陽です。
今回は、私の心に残る、ある方の「幸せ」にまつわるお話をさせていただきます。
20年近く前のことです・・
当時、私はある病院に勤務していました。
ある日、そこで一緒に仕事をしていた医師が、若くして突然亡くなってしまいます。
突然の出来事に言葉を失い、悲しみに暮れていた私に、ある役目が与えられました。
それは、脳卒中で倒れた彼のお母様を担当することです。
彼はお母様と二人暮らしでした。
彼のお母様は彼を突然失い、まもなく脳卒中を発症して寝たきりとなっていたのです。
私は当時、意思表示のできなくなった彼のお母様にとって、どういう方向付けをしてあげることが幸せなのか考えていました。
そんな私の想いをよそに、彼のお母様は静かに亡くなります。
・・後日、彼のご姉弟から言われた言葉が今でも心に深く焼き付いています。
「兄がいたから、母は幸せだったのだと思います」
私はそれを聞いたとき、全身の力が抜け落ちました。
いくらその人の幸せを考えても、結局「その人の幸せはその人にしかわからない」ということを学んだ気がいたします。
お話をしたり、お付き合いが長くなると、その人の幸せをある程度は理解できるでしょう。
でも、その人の本当の幸せというのは、その人にしか知り得ないことなのです。
私はそのときから、心に抱いていた万能感というものを捨て去りました。
今でもそれは変わりません。
どれだけ占術を学んでも、そこに依存することはありません。
その方を救いたい、支えたい、助けたい、という想いをもって、相談者様と向き合うことが大切だと思っています。
だからこそ、血の通った鑑定ができるよう心がけております。
どんなご相談であっても、その方にとっては大事なことです。
だから、真剣に向き合います。
その方に幸せを教えることはできませんが、幸せに近づけるお手伝いはできます。
その方にとって価値のある鑑定を・・
そんなことを思いながら、お電話いただくおひとりおひとりと真剣に向き合う今日この頃です・・
あなたの幸せは、あなたにしか見えません。
その眼に映る幸せを目指し、あなたは人生の航路を往くのかもしれませんね。
「Voyage of a good life!」
23
太陽です。
突然ですが、皆さんは「宿命」と「運命」の違いをご存じですか?
「宿命」は命に宿ると書き、「運命」は命を運ぶと書きます。
人にはそれぞれ生まれ持った「宿命」というものがあります。
解釈は様々ですが、私は「宿命」とは生まれ持ったもの。
つまり、その方の性格や特徴、傾向といったものを表してるものと考えております。
もちろん、これで人生のすべてが決まるわけではありません。
料理でいえば、素材のありのままの姿を視ているに過ぎないのです。
素材をどのように調理していくか、素材の持つ良さをどのように活かしていくか、
その人次第で「宿命」を良い方向へと転換していくことは可能です。
では、「運命」は・・
「運命」とは、人生の航路のようなものです。
産まれたとき、つまり船出の瞬間は何も決まっていません。
(この理から外れる人も稀にいますので、それはまた追々お話いたします)
「宿命」を素材と言うなら、「運命」は素材を加工するプロセスと言えるでしょう。
つまり、「運命」には自由が与えられているのです。
こうなるべくしてなっていた・・ということを言われる方もいますが、
それはあくまでひとつの選択による結果の論理であって、違う可能性もあるのです。
さて・・人生は選択の連続です。
そのときそのとき、どのような選択が正解か・・ではなく、
どのような選択が最善か・・そこに占いを活用することの意味があります。
「運命」は変えられない・・大きな間違いです。
「運命」は、「宿命」と「環境」、そして、その人の「心」の接点から生まれます。
私の鑑定では、その方の「宿命」を視させていただいた上で、その方のお気持ちや状況、想いを伺いながら、その方の人生がより良い方向へと進むお手伝いをさせていただいております。
もちろん、恋愛でいえばその方の強みを活かしたアプローチ、相手の特性を知った上での効果的なアプローチなども助言できます。
ただ、前回のBlogでも申し上げたように、人生にも四季が存在します。
今が冬なのに泳いでくださいと言って、海で泳いだら風邪を引きますし、今が夏なのにたき火をして暖を取ってくださいと言ったら、脱水で倒れてしまいます。
そのときそのときの身の処し方をお伝えするのも鑑定師の大事なお仕事なのです。
人は皆、「宿命」という船に乗って「環境」あるいは「社会」という海原に乗りだします。
そこで拠り所となるのが「心」という羅針盤です。
つまり、あなたの「心」ひとつで、「運命」をより良い方向へと導くことができるのです。
「運命」は、あなたが自由に描く人生の航路です。
私は、占術を扱う航海士として、あなたの大切な航海のお手伝いができれば幸いです。
「Lets create a wonderful destiny together!」
20
太陽です。
先日、クローゼットを整理していたら、小学生の頃に作った宝箱が出てきました。
開くと、なかにはたくさんの本と手作りの作品、新聞の切れ端がありました。
新聞の切れ端を見ると、そこには小学生だった頃の私が書いた詩が・・
興味本位に見ると、意外と大人びた言葉が並んでいました。
タイトルは「一本の樹」
春には色鮮やかな服を装い、人々を和ませ、
夏には逞しくそびえ立ち、人々を勇気づけ、
秋には紅く染まった服で踊り、人々を喜ばせ、
冬には裸になって寒さに凍え、人々に温もりを求める。
そうして、一本の樹は一生を送る。
私の鑑定術では、対象者を自然の姿に置き換えることがあります。
何十年というスパンで鑑定する際は、四季の流れに重ねて視ることもあります。
樹のように生きる人、
太陽のように生きる人、
大地のように生きる人、
宝石のように生きる人、
海のように生きる人、
人にはそれぞれ与えられた自然界の姿があり、それぞれに四季の姿があります。
そして、人の人生にもまた、同じように四季の移ろいがあります。
思えば、私は幼い頃から、四季の移ろいにひどくこだわっていたように感じます。
どうして、美しい花は散ってしまうのか、
どうして、葉はあおく茂るのか、
どうして、葉は散り際に紅く染まるのか、
どうして、冬は葉を脱ぎ捨てるのか、
勉強して、その理由が掴めても、何か釈然としない思いでした。
人生は常に一定ではありません。
人も環境もすべて変化していきます。
その人にとって良いと思えるときもあれば、良く思えないときもあります。
でも、人生のいかなるときも、良し悪しというのはないのです。
すべては、その人の人生に必要なこと、無駄なことはひとつもありません。
大切のことは、そのときをどう生きるかです。
人生という大きな流れの中で、
今、自分がどのような環境にいるのか、
どのような環境が向いてるのか、
知ることが、より上手く生きる・・というより、
より人生を楽しむための第一歩となります。
占いは万能ではありません。
ですが、より良く生きていくための処世術とでも捉えていただければ、占いのもつチカラを十分に日々の生活に活かしていただけるのではないでしょうか。
人の幸せのために生まれた叡智の結晶。
私はそれが占いであり、その人の人生をより豊かにし、幸せへと導く、
それが鑑定師の使命だと思っています。
今回はBlogらしく、日記のように自由に言葉を綴ってみました。
Pixyをご利用される皆様に、優しい光と温かな幸せが訪れますように。
あなたという一度きりの人生を楽しみましょう!
Lets enjoy life!
28
太陽です。
さて、今回のテーマは「心を持って成す」です。
私たちの国でも大切に育まれてきた伝統的な文化・・・
今では、もっとわかりやすい言葉で表現されています。
ヒントは、東京オリンピック招致にあたり、滝川クリステルさんが口にしたあの言葉です・・
そう、「心を持って成す」とは、「おもてなし」のことです。
今回は、世界的に認知されるようになった日本の伝統文化「おもてなし」について、考察を深めていきたいと思います。
まず、
「おもてなし」を漢字で表記してみます。
「持て成し」に「御」をつけ「御持て成し」
持て成す・・持って成す・・
つまり、何かをもって成し遂げるということですね。
では、その何かとは?
それは、古来より日本人が大切にしてきた「心」です。
つまり、「おもてなし」とは、「心」をもって何かを成し遂げることなのです。
では、
「おもてなし」を連想するものをいくつか見ていきましょう。
「マナー」
接遇、礼節、あるいは行儀作法のことで、
相手に不快な思いをさせないための最低限のルールです。
「サービス」
奉仕や仕えるなどの意味があり、
サービスを受ける側、つまりお客様が主となり、サービスを提供する側が従となります。
「ホスピタリティ」
「歓待」を意味し、
Hospital(病院)、Hotel(ホテル)、Hospice(ホスピス)などの言葉から派生したと考えられています。
これらは、「おもてなし」と同等、あるいは道義的な意味として繋がっているように感じます。
「おもてなし」に宿る「心」
私たちの「心」もまた、
様々なものに宿り「おもてなし」をかたちづくります・・
時には「花」に・・
時には「料理」に・・
時には「絵」や「器」に・・
時には「贈り物」に・・
時には「言葉」に・・
時には「行動」に・・
時には「所作」に・・
そうして、すがたかたちを変えた「心」は、
今もどこかで、誰かを持て成しています。
「おもてなし」の語源には次のような説もあります。
「表なし」つまり「裏もなし」
「表裏のない心」で相手と接するということです。
飾られた「心」ではなく、ありのままの「心」
つまり「真心」が必要ということですね。
相手を大切に想う心・・
そこから「おもてなし」は生まれます。
勿論、恋愛の中にも「おもてなし」は存在しています。
相手を喜ばせたい、
相手を励ましたい、
相手を支えたい、
相手を癒やしたい、
大切な人への想いは、自然とそこに「おもてなし」の精神を生み出します。
そして、その行動から生まれるあらゆるものに「おもてなし」は存在するのです。
近年、「おもてなし」は、流行語大賞に選出され、規格認証まで行われるようになりました。
でも、何も特別なことではありません。
私たちの何気ない日常のなかで、
あなたの気づかないところで、
「おもてなし」は、いつも存在しているのです。
人が、「心」を持った「社会的動物」である限り、
「おもてなし」という文化は、国壁を越え、
あらゆる場面で、グローバルに発展し続けるでしょう。
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